小人の国の御曹司

恋愛・仕事・遊びをすべて楽しむ男の雑記

【いのち】大切な命を奪った経験はありますか?猫から教わった命の儚さ。

 

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今週のお題「卒業」

 

「卒業」とは、「別れであり出会いである。」

 

 

2016年2月22日。


この日はにゃんにゃんにゃんで猫の日であった。


家族のネコ、クッキーが亡くなりました

野放しにしていたのでたまにいなくなることはあったのですが


4日間帰って来なかったのは初めてでした。


食事場を見に行ってもご飯は減っていない。

 

動物嫌いの母親が「クッキー誰かに連れて行かれたのかしら。いないといないで寂しいね。」 こんなことをこぼしていました。

 

4日後。食事場の隣でクッキーは硬直した状態で見つかりました。


年齢もまだ5年は生きれたそうです。


実家の引っ越し準備をしていたので、たぶん自分のすみかの環境が次第に変わっていき、ストレスが溜まり、体調を崩していたのではないでしょうか。

 

猫は死際になると姿を消すと言われています。

静かなところで落ち着いて休みたいからだそうです。

そして、そのままその場で力尽きてしまうそうです。

 

しかし、クッキーはいつもの場所に姿を現わしてくれました。

人懐っこい猫でした。

勝手に私の布団で寝てたり、庭のモグラを捕まえて見せにきたり


みんなに愛され。

誰の足にも擦り寄っていく姿はとてもかわいかった。


たぶん

ありがとう

この一言を伝えに出てきたのかな。


翌日、ペット専用の火葬場に連れて行きました。

私は仕事で行けなかったのですが、普段人見知りで感情を露わにしない父親が涙を流したそうです。

 

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そんな父親から一言メッセージが届きました。

 

あなたがいないことが悲しいのではなく、いないと思うことが悲しい。

 

あなたがここにいなくても悲しくはないけど
もういない、会えないと思うと悲しい。

 

すごく胸に刺さった。


たかが猫と思う人もいるかもしれない。

 

 

では、人間だったらどうだろう。

 

中学2年生の時、同級生が亡くなった。


体の異変(血管の破裂)による突然死だった。


私がそいつに放った最後の言葉が


死ね


この一言であった。


今でもその状況が脳裏に浮かぶ。

仲が悪かったわけでもいじめていたわけでもない。


当時流行っていたのが

死ね」という言葉であった。

 

単なる言葉かもしれないが
その一言は非常に重みのある言葉になり

 

その後、私はその言葉を言わなくなった。

 


話は変わるが

 

大学時代、常に一緒にいた彼女との連絡が途絶えた。

お互い就職で遠距離になり、別れを告げたのだが

ふと気づいたら電話、Line、twitter等すべての連絡手段がなくなっていた。

 

新しい彼氏ができたと聞いてはいたが


非常に悲しかった。

そこまでする必要が果たしてあったのだろうか。


もし今、私が死んだら

その子は少なからず後悔すると思う。


死んだ原因はまったく関係ないけれど

なんでそんなことをしてしまったんだろうと。

 

大学時代。私も人の好嫌いが激しい人間であった。

ある先輩とその事で喧嘩したこともあった。


しかし、今となっては人との出会いは大切であり

いま関わっている人は大切にしようと思う


そんな事を


たかが猫から思わされ、思い出さされた。

ありがとうクッキー。


さようなら。